癌との闘い。。。。
遡る事一昨年の秋に膵臓癌との告知を受けて
奥さんと僕は最後まで父の生命力を信じておりました。
告知時には、余命3ヶ月と告げられ絶句しましたが。
あらゆる試みにより新薬の投入を決断をしました。
当時、薬による症例が無く藁をもすがる思いでしたが。
副作用も無く順調に治療を進めて自宅治療の矢先。
昨年11月末から徐々に体調が悪くなり12月に
緩和ケアへ。。。。所謂、最後の痛みを和らげる事だけへの
治療になる訳ですが。父自体も前向きに生きておりましたが。。
年明けから急激に体調が崩れてしまい帰らぬ命となりました。
今思い起せば11月末までは毎週の休みには奥と父とで
道の駅などに出かけて、夜には囲炉裏を挟んで酒を飲み
尊敬する父親との最後の親孝行だった事のように思えます。
その父は高知で天皇陛下の植樹祭時に使われる数々の道具を
自らの手で仕上げた腕利きの木工・家具職人でも有りました。
勿論、自慢する事無く、職人とはを極めた人間でした。
仕事も速く丁寧で色んな家具を世の中に納めた職人でもある訳ですが。
バブル崩壊後に、本来であれば木工・家具職人であるが為に
合板材等での安物仕事をを嫌い
自身がやりたい仕事ばかりではなかったようですが
僕個人の仕事柄で相通ずる所もあり、話が良く会い
酒を遅くまで飲み語らった事が頭に蘇ってきます。
お父さん本当に寂しいですが疲れた体を
可愛がってあげて下さいね。僕の仕事の一生に
きっとお父さんの気持ちをずぅーっと生かして
仕事をしていきますので。偶には一緒に酒も交わしましょう。
お別れは辛いですが本当に疲れた体を労り
ゆっくりお休み下さい。
PS
僕個人も、その道29年の職人肌なので自分の仕事には
義理父の気持ちが良く分かるんだとも思います。
その意志をを貫きたいと思います。
ただもの的には別物ですが。。。。。。
昨年の11月に我が家の庭のデッキを作ってやると
我が家に見に来た日が元気な姿を見た最後でした。
叶いませんでしたが数々の作品が家に有る事を
誇りに感じます。
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